最近よく去年死んだじいちゃんの事を思い出す
去年死んだ時、実家の方に慌てて帰った時は、正直そんなに哀しくはなった。いずれ死ぬ事はわかってたと、すんなり受け入れている自分に驚いたくらいだった。
それがなぜ今、こんなに思い出されるのだろうか。
俺はおじいちゃん子だった。今思い返すと、じいちゃんは怖かったところもあるが、大分甘やかされてた気がする。
自分がこの人の血を本当にひいているのかと思うくらい、顔立ちがよく、そして何事もきちんとしている人だった。手先が器用で何でも自分で作ってた。そしておしゃれだった。俺を保育所に迎えに来るのに、わずか20mほどの距離なのに、シャツを着て紐みたいなネクタイを巻きジャケットを羽織り、ハットをかぶり、ステッキまで持って迎えに来ていた。何気にディオールとかのベルとしていたり。クローゼットの中も、開けたままでもいいくらいに整然としていた。
 そんな物事に秀でたじいちゃんも若い頃は、長男だったため他の兄弟達を育てるため、大変苦労したらしい。兄弟の何人かはじいちゃんに大学まで進学させてもらったそうな。当時はすごいことだろう。

 今俺は岐路に立っている。俺みたいな”ナイス害”(「けものがれ、俺らの猿と」町田 康より)が社会に出て本当に生きていけるのか?とよく考える。そこでよくじいちゃんを思い出すのかもしれない。
 今の自分を見てどう思っているかな・・・

さて履歴書仕上げねば。明日朝一で出さないと。
今日はただ、ナイス害て言いたかっただけかも。

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